■原文
瓜食(うりは)めば 子ども思うほゆ 栗食めば まして偲(しぬ)はゆ
いづくより来りしものそ 目交(まかなひ)に もとなかかりて 安眠(やすい)し なさぬ【反歌】
銀も金も玉も何せむに 勝れる宝子にしかめやも
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■現代語訳瓜を食べれば(残してきた)子供のことを思い出す。
粟を食べれば、いっそう懐かしく思えてしょうがない。子供たちはいったいどのような縁で、私の子供としてやってきたのだろうか。
目に子どもの姿がちらついて、熟睡することができない。【反歌】
銀も金も宝石も何にせよ、それらより勝っている子供に宝として及ぶだろうか。
いや及ぶまい
柄にも無く、万葉集からの一節を引っ張ってきました。
もちろん全文は記憶してないので
「うりはめば」で検索して、全文と 調子に乗って訳も拾ってきました。
この歌、郷愁感覚たっぷりと云いますか、わりと素朴な感じで
それでいて色彩感があるところが好きです。はい。
まぁ、自分の子らは置いといて
(つーか、もうみんなオッサンだし)
よその子らは国の宝ですね。
「ちまき」や柏餅、それと こっちだと「いばら饅頭」という
元々は田植えとか農作業のおやつ用だった菓子が
丁度この時期で子供の日と重なるものですから
どさくさに紛れてシレッと子供の日の縁起物に混ざっています。
ただ、ちょっと残念なのが
ウチだけかもしれないですけど
子供ら、柏餅とか今は食べないのよ。
昔は少しなら食べたんですけど
そういう情緒的な部分がウチには欠けてると思いますとか書いて
その殺風景な家庭を築いたのは「お前自身じゃ」と心の声。
昔はいろいろ余裕なかったですから・・・